

──私たちが失ってしまった“定義”の話
まず最初に、
どうしても伝えたい違和感があります。
いま世の中にあふれている
「リノベーション」という言葉。
その多くは、
本当はリノベーションではありません。
・床を張り替えた
・壁紙を変えた
・キッチンを入れ替えた
・間取りを少し触った
それらは、
どれだけ費用がかかっていようと、
本質的には“リフォーム”です。
言い換えるなら、
きれいにはなったが、
世界は一ミリも更新されていない。
築100年の木造住宅。
そこに、1階から2階まで貫く斜めの鉄筋コンクリート壁を挿入する。
素材も、構造も、時代も、
本来なら相容れないもの同士を、
あえて衝突させる。
それによって生まれる緊張感、
空間の再解釈、
建物そのものの意味の更新。
これは単なる改修ではありません。
建築の思想そのものを差し替える行為です。
こういうものを、
私たちはかつて「リノベーション」と呼んでいたはずです。
直島近辺の話で恐縮ですが、
三分一博志による犬島精錬所美術館。
崩れかけたレンガ組積造の銅精錬所。
通常なら「危険」「老朽化」「解体」の三拍子です。
それを、
・過去の痕跡は消さず
・崩れかけた状態すら肯定し
・そこに新しい機能と意味を与える
結果として生まれたのは、
“過去と未来が同時に存在する空間”でした。
美しくすることが目的ではない。
便利にすることだけがゴールでもない。
建物が持っていた時間を、
もう一度読み替える。
これこそが、
本来のリノベーションです。
多くの住宅リノベーションは、
・無難
・予定調和
・どこかで見たことがある
・SNSで「いいね」はつく
しかし、
記憶に残らない。
人生の景色が変わらない。
理由は明確です。
建物の“意味”に一切触れていないから。
用途を変えただけ。
見た目を整えただけ。
設備を新しくしただけ。
それは
空間の再編集ではなく、単なる更新作業です。
リノベーションをした人ほど、
数年後にこう言います。
「確かにきれいだし、不満はない」
「でも、何かが足りない気がする」
この「何か」は、
・収納量でも
・設備グレードでも
ありません。
それは、
本当のリノベーションには、
必ず違和感と発見があります。
最初は戸惑うが、
住むほどに意味が立ち上がってくる。
その体験がないと、
どれだけお金をかけても
「満足感」は薄いままです。
性能向上は大切です。
快適性も、耐震性も、断熱性も必要です。
しかし、
それだけでは“生活の質”は完成しない。
本当に求めているのは、
・自分の価値観が反映された空間
・他では得られない体験
・語れる理由のある住まい
つまり、
思想のある建築
です。
「それは美術館だからできる話でしょう」
そう言われることもあります。
でも本質は違います。
重要なのは
規模でも、用途でも、予算でもない。
・建物の文脈を読む
・壊す理由を持つ
・新しい要素を“挿入”する覚悟
これらを持っているかどうかです。
住宅であっても、
いや、住宅だからこそ、
もっと思想的であるべきだ
と、私は思います。
もしあなたが今、
「リノベーションをしよう」と考えているなら、
一度だけ、こう問い直してみてください。
・それは、単なる“きれいな更新”ではないか
・その空間に、驚きはあるか
・建物の意味は変わったか
もし答えが曖昧なら、
それはまだ
リフォームの延長線上です。
リノベーションとは、
本来もっと危険で、
もっと知的で、
もっと面白い行為だった。
その定義を、
もう一度取り戻すところから
始めてもいいのではないでしょうか。
──美術館と住宅を分けているものの正体
「それは美術館だからできる」
「住宅では現実的じゃない」
建築的リノベーションの話をすると、
必ずこう言われます。
ですが、ここで一度、
冷静に整理する必要があります。
住宅でできないのではなく、
“条件を満たしていない”だけです。
建築的リノベーションは、
才能や奇抜さではなく、
成立条件の問題なのです。
多くの住宅リノベがつまらなくなる最大の理由は、
建物を最初から
・使いにくいもの
・古いもの
・直すべき欠陥品
として扱ってしまうことです。
これでは、
発想は常に「修正」にしかなりません。
建築的リノベでは、
建物は完成品ではなく素材です。
・歪み
・無駄
・過剰
・不合理
それらすらも、
編集対象として扱う。
犬島精錬所美術館が
崩れかけたレンガを
「欠陥」と見なさなかったように。
住宅でも同じです。
建築的リノベには、
必ず壊す行為が伴います。
しかしそれは、
・古いから
・邪魔だから
・流行じゃないから
ではありません。
壊す理由は、
思想でなければならない。
・なぜこの壁は不要なのか
・なぜこの天井高さを変えるのか
・なぜこの素材を残すのか
これを言語化できない設計は、
どれだけ見た目が良くても
建築ではありません。
住宅で成立させるには、
施主自身が
「なぜ壊すのか」を
他人に説明できるレベル
まで思考する必要があります。
建築的リノベは、
構造から逃げません。
むしろ、
・構造を露出させる
・新しい構造体を挿入する
・既存と新設を対立させる
こうした行為そのものが、
デザインになります。
築年数のある住宅ほど、
構造は“時代の思想”を背負っています。
それを
・隠す
・ごまかす
・覆い隠す
のではなく、
構造を語らせる
これができるかどうか。
ここに、
普通のリノベと
建築的リノベの決定的な差があります。
これは少し勇気のいる話ですが、
建築的リノベを成立させるには、
すべてを
・効率
・動線
・家事ラク
で最適化すると、
空間は必ず凡庸になります。
もちろん不便でいい、
という意味ではありません。
ただ、
・あえて遠回りする動線
・少し暗い場所
・静けさのための余白
こうした非効率が、
生活の質を底上げすることがある。
高級住宅に
無駄な廊下や
用途の曖昧な部屋が
存在する理由です。
誤解してほしくないのは、
建築的リノベは
性能を軽視する話ではありません。
むしろ逆です。
断熱・耐震・気密・設備更新は、
議論の対象ではなく、前提条件
です。
快適性や安全性を確保した上で、
その“土台の上で”
どんな空間体験をつくるか。
これが高級客層のリノベーション。
性能に悩んでいる時点で、
まだ入口に立っていません。
建築的リノベは、
設計者に丸投げしても成立しません。
同時に、
施主の好みをなぞるだけでも
成立しません。
必要なのは、
・価値観の衝突
・意見のズレ
・言葉にならない違和感
これらを
何度も往復する対話です。
設計者に
「どう思いますか?」と聞かれた時、
「お任せします」
と答えた瞬間、
建築的リノベは終わります。
最後の条件は、
とてもシンプルです。
その家について、
・なぜこうなったのか
・何を残し、何を壊したのか
・どこが一番好きか
を、施主自身が語れるか。
語れる家は、
時間が経っても価値を失いません。
流行が変わっても、
評価軸がブレない。
それは、
思想が宿っているから
です。
最後に。
建築的リノベーションは、
奇抜さでも、自己満足でもありません。
むしろ、
・安易な選択をしない
・時間をかけて考える
・建物と真正面から向き合う
という、
極めて誠実な行為です。
贅沢とは、
高い素材ではなく、
その選択ができる人にだけ、
住宅での
“建築的リノベーション”は成立します。