
医・食・住の真実 対談
第一章
景観と品格
- 井上
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船瀬先生、よろしくお願いします。
- 船瀬先生
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よろしくお願いします。
さっそくですが、建築とは何かというと「外観から入った家づくりは必ず失敗します」っておっしゃった先生がいましてね。「自己否定につながらないですか?デザインを否定させていただいたら?」って聞いたら、「いやいや、船瀬さんいいですか?家というものは人に見せるためにあるわけではないのですよ。住まうためにあるんですよ。」とおっしゃったんです。
お!なるほどな~と思ったね。確かにデザインや外観から入った家づくりは必ず失敗します。家は暮らしの入れ物ですから。その人がどんな生き方をしたいと思っているかや、どういう風に家族と過ごしていきたいのか、それを充分に理解してあげてその入れ物をこさえてあげれば良い家はできるんですよ。外観なんていうものは、周りに木を植えてしまえば緑が遮って見えなくなりますから、あんまり関係ないんですよ。(笑)
そして「家というものは目立ってはいけない」ともおっしゃってたね。だから我が家を建てた時もモデル住宅のつもりで建てたのです、自然建築でね。コスゲさんっていうものすごい優秀な建築家にお願いして。彼に注文したことは何だと思います?「できるだけ地味な外観で、できるだけ地味な家を建ててくれ」ってお願いしたんですよ。目立たない家を建ててくれって。それで設計図見たら本当に地味で、ガクーッって来たね(笑)あちゃーこれ民宿みたいだ、と思って。だから、やっぱり僕の心の中にもどこか、高いお金かけるから目立ちたいっていう気持ちがあったんだよ。いやー、こんな地味じゃなぁって思ってしまったよ。
あと、隣のお宅と同じような外観にしてくれって頼んだんです。「お隣と同じように漆喰の白壁で、真壁工法で建ててください。屋根も同じように、隣と全部同じ外観にしてくれ」って。それが目立たない家ってことなんです。隣と同じ外観にすると少なくとも隣とは調和性が取れるから。少しでも周りの風景を壊さない家を建てたかったんですよね。しかし日本人は家を建てる時に必ず言うんですよ、「隣と違った家を建ててくれ」って…困るでしょ?

- 井上
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そうですね、景観は調和した方が美しいですもんね。
- 船瀬先生
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だから僕の『風景論』ではそれをはっきり書いてますよね。『日本の風景を殺したのは誰だ』でも。
僕は風景の3要素って言ってるんだけど、本当に美しい風景というのは伝統に従い、人為を排してよそを真似ず。その土地の風土と伝統を築かないとだめですよね。
人為を排するとは、あざとい「俺が!俺が!」みたいなそういう人為はいらないんですよ。あとはよそを真似しちゃいけない。やっぱり伝統の風景、風土というものは、ものすごく大事なんですよね。それに調和性。うちだけ目立とうとして建てた家は風景を壊すんです。日本の自然は世界で最も美しい方だけれども、街並みの風景は世界最悪なんですよ。だから、『風景再生論』とか『あなたもできる自然住宅』とか、そういう本を読んでもらいたい。そこにすべての思いを込めたつもりです。
日本の風景がなぜめちゃくちゃかというと、日本人は「自分がお金を出して建ててるんだから、どんな家を建てたって良いだろ」っていう傾向があるでしょ?でも、欧米では建物は個人の所有物であっても、外観は公共の財産である、というのが基本哲学なんですよ。
欧米では家を建てる時の申請に行くときに「このストリートは全部白に統一されていますから、外観は白にしてください。」と指定されて、それに従わないと取り壊されてしまいます。だから、家は個人の所有物でも外観とか風景というのは公共の財産所有物である、と憲法にも書いてありますからね。そのあたりの建築哲学が日本には根本的に欠けている。というか建築家が先に学ばないと。日本の建築家というのは風景論を学ばないんですよ。
だから僕の『風景論』を読んでもらえば皆さん分かっていただけると思うけど、井上社長も建築屋だから描くと思うけど、パースってあるじゃない?よく額縁に入れてたりするやつ。
- 井上
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はい、パースはよく描きますね。
- 船瀬先生
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そのパースで、周りに木を描いたりしてるんだよね?それなのに隣の家は描いてないんですよ。
おかしいでしょ?
だって家っていうものは、少なくとも芸術的な側面は隣との色の調和とかバランスとか、それがあって成り立っているのに、隣は無いことにして空白にして、木を描き足してプレゼンするんですよ。隣に白いビルと白いビルがあるのに、黒いビル建てたらおかしいでしょ?
隣は無いことにして描かれているプレゼン用のパースの描き方からして日本の建築家はだめなんですよ。だから僕は非常に批判しましたし、これからも批判すると思いますけどね。それに加えて日本の建築の創始者たちが、建築についての哲学とか、価値観がぜんぜんなってないから、日本の風景はガタガタになっちゃったんですよ。
しかし御社のパンフレットを見て、井上社長は非常によく分かっていらっしゃるなと思いましたよ。結構世の中の建築家は、建築論がめちゃくちゃ、風景論がめちゃくちゃ、おまけにそのクオリティがめちゃくちゃ。クオリティがめちゃくちゃっていうよりもデンジャラス。だから僕は、それを正したくて建築基準の本だけでも20冊以上書いてきたんですよ。

- 井上
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それに勇気づけられました。やはり自分たちが正しいと思ってやっていても、世間はそうではないことが多い。
- 船瀬先生
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一つ、良い建築ってなんだ?って言ったら実にシンプルですよ。良い食べ物ってなんだ?って言っているのと同じなんです。要するに“自然なものにしなさい”これだけですよ。
衣食住や医療を理想的な良いものにするにはどうしたらいいか、というのは簡単なんです。だから、単純で天然で、それだけで何もいらない。有名な建築家もいらないのです。
「すばらしい建築とは何か?それは驚きと感動である」と言った建築家がいたんですよ。
- 井上
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驚きと感動ですか?
- 船瀬先生
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そう。これが良い建築の2大要素だ、ってね。建築物を見て「うわぁ~」って驚く。
でも2日後に見て、また「うわぁ~」って驚く人なんていないでしょ。驚かせて感動させればそれでよい建築だ、という考えは完璧に間違えている。本当の建築の要素は、落ち着きと風格であると僕は反論を書きましたよ。
建築というのは普通のアートとは違うんです。なぜか?アートというのは個人的な表現だけど、建築というのは色々な考えの人や多様な慣性の人など、数多くの人がそれを利用し、目にし長く慈しむものでしょ?
それから、落ち着きというのはどういうことかというと、誰が見ても安心感を与えるもの。安定感を与えて気分を落ち着かせる…そういう建物が大事なのですよ。そして風格というのは、棋風と品格ですよ。
棋風というのはその人も持っている美意識。ある程度出して良いものです。その代わり、そこには品格が必要です。品格って何かというと、気品。すなわち「俺が!俺が!」と自己主張してはいけません、ということ。これだけ表現したかったら半歩下がって自己抑制する。そんな気品というものが必要です。
第二章
近日公開予定