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【人の身近には常に自然があるべき】

本日は、毎月行っている

地域清掃の実施日でした!

 

 

その際、ふと思ったことがありました。

 

 

街路樹自体は、無かったとしても、

直接日常生活に困ることはなく、

在ることで、お手入れも必要になる。

 

でも何故、税金をかけて、

労力をかけてまで、

街に緑をつくるのか。

 

では、逆に、街から

日常生活上、不要な緑を全て

撤去してしまったら

どうなるか。

 

私が、真っ先に頭に浮かんだことは

「彩りがなく地味で、どこか寂しく、

心の豊かさがなくなりそう。」

といったことでした。

 

ということは、

やはり人間も動物的に

本能で、身近に緑があることの方に

馴染みを感じるし、

 

税金の無駄だとして、

街路樹を撤去する声を聴いたことがないとすると、

大多数の方が、緑がある暮らしに

共感を覚えているのだと思います。

 

でも、同時に、

それにも関わらず、

私たちの暮らしから

緑や木離れがすすんでいることも感じており、

「人はやっぱり自然に囲まれて暮らす方が

動物的に当然なはずなのに…」と、

この矛盾に、とても歯痒さを感じます。

 

皆様、無垢の床がある暮らしを

日常でどれだけ体験しているでしょうか。

(アイスタイルのオーナー様が除いて(^^;))

 

人によっては、

無垢の床での暮らしを知らないまま今に至っており、

もしかすると、知らないまま、

人生を終える方もいらっしゃるかも知れません。

 

だからこそ、

先日、伺った

岡山県の西粟倉村の図書館のつくりには

とても心を揺さぶられるものがありました。

 

姫路 工務店

 

使われている木材は無垢材です。

 

姫路 工務店

 

 

姫路 工務店

 

床は無垢の桧だったり、

 

 

無垢の杉だったり。

 

この地域で育った子どもたちは

知らないうちに

無垢の床材たちに触れている環境です。

 

誰かに教えられることなく、

無垢の床の良さを体感することとなります。

 

そうして、やがて、

街に出てきて暮らしたとき、

「あれ。全然違う。」と気付くはずです。

 

合板フローリングも

使う言葉としては「床」なのですが、

「どっちが、自分たちに合っているか。

どっちが、体が共鳴しているか。

体が求めているものは、どっちか。」

「無垢の床は特別視されているが、

実は無垢の床の方が人の暮らしにとっては

合っているもの。」

ということを。

 

バウビオロギーという概念があります。

建築生物学です。

 

住宅は第3の皮膚として。

住宅は動物でいう巣という観点で。

 

どういう在り方が、

本当に自然的で正しいのか。

 

バウビオロギーには、

 

・自然建材を適材適所に

・室内の湿気を吸放湿性のある建材によって調整する

・断熱、蓄熱のバランスを

・室内空気温度と周壁面温度のバランスを

・心地よい室内の匂い、有毒ガスを放出しないこと

・色彩、照明、、自然採光のバランスを

・遮音、振動の検討

・人工の電磁場をひろげない

・空間造形のための生理学的認識

・調和的な尺度、プロポーション、フォルム

・環境問題と製造エネルギー

・限りある資源、貴重な資源の乱開発に歯止めを

・社会に負荷を与えない

 

などといった指針があります。

 

共感できる方は多いと思います。

 

しかし、こういった概念に合った住環境は

国内ではほとんで存在しないことが現実です。

 

今や、生産効率優先で、

家づくりの90%以上は工業化製品でつくられています。

木材や畳など、本来安全な自然素材ですら

防腐剤、合成塗料などによって

今は、工業化製品となっています。

 

身近に自然がなくなるどころか、

それらから揮発する化学物質により、

室内の空気は危険なものとなり

住む人の健康を害すという、

間接的に人が人によって傷めつけらる

昔にはなかった

歪んだ構図が存在する現実です。

 

ちなみ、街路樹の始まりは

759年(奈良時代)だそうです。

 

今なお、受け継がれている思想だと思います。

 

街に街路樹が普通に存在することも

先人たちが

人の身近には常に自然があるべき

ということを教えてくれているのかも知れません。

 

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